50歳から海外でフリーランスとして生きる

インド人なしには回らない、ネパールの縫製工場事情

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

 

ナマステ〜、日向はぽかぽか、室内は冷蔵庫のカトマンズからmiyachikaです。

さてさて常に就職難の状況が続いているネパールですが、実は、多くのインド人の出稼ぎ労働者が働いています。

私の友人が経営する縫製工場も圧倒的にインド人労働者で占められています。

何故、人があまり余っているネパールで、ここまでインド人労働者が多いのか、知り合いのネパールの縫製工場に事情を聞いてみました。

 

 

アジアンな服たちは実はネパール生まれかもしれないよ

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昨今の日本で、服のラベルを見てみたら、圧倒的に多いのが中国製でしょう。量販店はもちろん結構なお値段のブランドの服だって、『Made in China』と表示されているものが多いですよね。

でも、染めや刺繍のあるエスニック調のアジアンなテイストの洋服は、たま〜にネパール製だったりします。アジアンファッション店で売られているような服です。

 

お隣の大国、インドは、最近は中国に押されがちですが、衣料品産業は盛んです。エスニックな洋服も大得意。コットンの生産量も高く、伝統的に染め、織り、刺繍、編み物、スパンコール、ミラーワークなど、美しい手仕事が多くあります。ただ、インドの縫製工場は、小ロットの対応はほとんどしていません。大手の卸しや全国チェーンや、世界的チェーンを持つような企業が主なクライアント。

小さな卸しや小規模の小売業が、インドでオリジナルをオーダーするのは、難しいのが現状。せいぜいが既成の商品を拾い買いするくらい。小さい縫製屋さんは街のあちこちにありますが、輸出に耐えられるクオリティを確保するのはかなり困難です。

 

そこで、登場するのがネパール。実はネパールにも縫製工場はいっぱいあります。といっても、インドのような大掛かりなものじゃないのですが。でも、小さな工場だからこそ、1アイテム50枚というような小さなロットの仕事も受けてくれます。

ネットで『アジアンファッション ネパール製』と検索してみれば、結構たくさんヒットしますよ。絞り染めや、パッチワーク、ストーンウォッシュ、刺繍、かぎ針編みなどが施されているものが多いのが特徴です。

 

 

インド人ほどの技術を持つネパール人がいない縫製、染色職人

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ネパールのタメルを歩けば、何軒もの洋服屋があるのがわかります。これらのお店、観光客用に小売りもしていますが、メインの収入になるのは、小売ではなく、卸しの仕事です。たいていのお店は、大なり小なり自分の縫製工場を持ち、ミシン職人を抱えています。そして、主なクライアントは海外の小売店や問屋さんです。

が、ほとんどの場合、工場の労働者は、インドからの出稼ぎインド人の職人で占められています。ミシン職人だけでなく、ミシン刺繍職人も、染め職人もほとんどがインド人。

たくさんのネパール人が出稼ぎのために、毎日海外へと流出し続けるネパール。国内で職を得ることができないため、仕方なくみな海外へと出て行くのに、縫製工場労働者はインド人で占められているという現実。何故なんでしょう?

 

インド人の労働者を規制して、ネパール人を雇えばいいじゃないかと思うのですが、なかなかそうはいかない事情があるのです。

一番の理由は、単純に、インド人職人にはできるが、ネパール人職人にはできないことが多いということでしょう。

カトマンズで縫製工場を経営しているネパール人に聞くと、インド人の職人の方が、全体的に見て、仕事がきれいで、仕事が早く、難しい仕事もこなせるそうです。

特に刺繍と染めに関しては、ネパール人でインド人ほどのレベルで仕事をできる人がまずいません。小さいロットでも、オリジナルの刺繍やオリジナルの染めができるのが、ネパールの縫製工場の良さなのに、それができないとなると意味ないですもんね。

 

また、ネパールにおいては、出稼ぎであるインド人のワーカーたち、出稼ぎにきているくらいですから、出稼ぎ中は目一杯稼ぎたいのです。

縫製の仕事は基本出来高制、だから仕事も早いし、早出、残業もする。1日に何枚縫えるか勝負です。だから、暇な工場には人が居着きません。インド人職人は、仕事の多い工場を求めてどんどん職場を変えて働きます。

 

そりゃ、家族の都合でなんやかんや休みがちで、だらだら働くネパール人がかなうわけがありません。

家族を故郷においてきたインド人たち、ネパールでは、ただただ稼ぐのみ。食事も質素にチャパティ(素焼きの薄焼きパン)とサブジ(ベジカレー)のみ。それに比べ、酒飲みも多いネパール人職人、祭りの多い月なんかだと、二日酔いで遅刻するスタッフに頭が痛いと、オーナーが嘆いておりました。

だから、工場主としても、効率とクオリティを考えたら、インド人を雇うことになるのだということでした。

 

 

職業には貴賎があるカースト思想の影響

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ただ、インド人労働者を排斥したとしても、ネパール人が技術的にインド人労働者以上のものを持っていたとしても、ネパール人がその職に喜んでつくかどうかは、疑問です。

 

ネパールには職業に貴賎があるからです。

 

ミシン職人は、ネパールのカースト制度(ネパールではカーストと呼ばずに、ジャートと呼ぶことが多いですが)の中では、ローカーストの仕事とされてきました。ネパールの社会科の授業では、『ネパールには、かつてジャートの上下による差別があったが、現在の社会では、どのジャートもみな平等である』というように教えられます。

けれども、現実に差別が全くなくなったかというと、まだまだ残っているというのが現状。特に古い世代や村落部においては、差別意識はまだまだ強いのです。

縫製業、精肉業、清掃業、工事現場の日雇い労働者などは低いカースト人の仕事という意識は、現在も、根強くあります。

 

海外の出稼ぎで、縫製工場や工事現場、皿洗い、ビル清掃などに従事することはあっても、ある程度の学歴(高卒程度)があるネパール人が国内で、そういう仕事に積極的に就こうとすることは、まずありません。職業に対する差別意識は、かなり根強く残っているのです。

ネパールの縫製工場にネパール人ワーカーをほとんど見ることがないのは、ネパール人の技術不足以上に、こういう彼らの意識が大いに影響しているのではないでしょうか。

 

 

職業の貴賎を超えて働き始めたネパールの女性たち

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数少ないネパールの輸出品目の中でも衣料品は主要な品目に数えられます。でも、それを作っているのは、ほとんどインド人職人であるというのが現実です。

けれども、この状況に少しずつ意識の変革をもたらす可能性があるとすれば、女性の縫製現場への進出ではないかと思うのです。

 

まだまだ男尊女卑の意識が強いネパールで、男性ですら就職先のない状況の中、なんの資格もないネパールのごくごく普通の主婦の職場は本当に限られたものです。

けれども、女遊びの激しい夫に捨てられたり、家庭内暴力の夫から逃げ出してきたり、出稼ぎに行った夫が音信不通になったりと、子供を抱えて経済的に切迫している女性たちは、なんとか経済的に自立しようと必死で、縫製の現場にも女性の進出が、見られるようになりました。ミシンを扱う女性も徐々に増えてきました。

彼女たちにとっては、プライドよりも、何よりも経済的自立が大切です。

 

もともと、男性よりも下に見られ続けきた、弱者の女性たちですが、弱者だからこそ、捨て身の強さのようなものがあるとも言えます。

根強い職業における貴賎の意識がすぐに変わるとは思えませんが、女性がジャートを超えて、どんどん社会進出することは、この国を変える力になり得るのではないでしょうか。

 

 

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