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日本の常識は非常識? アジアでよく聞くボラれたとは、本当にボラれているのか?

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

 

こんにちは〜、まだまだ暑いチェンマイからmiyachikaです。

普段はネパールに住んでいる私ですが、ネパールにしても、インドにしても、ここタイにしても、アジアでは、値段交渉しなければいけないことが多いですよね。

でもって、アジアでよく聞かれるのが、ボラれた〜って話です。

けどね、アジアに住んでると思うんですよね。

誰にでも(富める者にも、貧しい者にも)同じ値段で売ることと、

相手を品定めして、あるいは対等な値段交渉の結果、違う値段で売ることと、

一体どっちがフェアなんだろうなって。

日本の常識はもしかして、非常識かもしれません。

今日は、アジアの視点から値段交渉とぼったくりについて考えてみたいと思います。

 

 

 

不当な料金を請求するのが『ぼってる』ことになる!

 

アジアに旅行した人がよく言ってますよね。『ぼられた』って。

この『ぼる』っていうのを辞書で調べてみました。

それによると、『ぼる』はラ行五段階活用の動詞で、

 

ぼら ない

ぼり ます

ぼる

ぼる とき

ぼれ ば

ぼれ

ぼろ う

 

(日本人よりも、日本語学校に通っている外国人の方が動詞の活用には詳しいです。私は実践的活用はできるけど、文法試験的にはダメダメです)

 

意味は『不当な料金を取って、利益を貪る』こと。

語源として2説あって、一つは『暴利』の動詞化したものという説。もう一つは、『むさぼる』が縮まって『ぼる』になったという説。どちらもあり得る感じですね。

まあ、語源がどっちにしても、不当な料金を受け取ると、ぼっていることになるらしいというのはわかりました。

でも、不当な料金の定義って何なのでしょう?

その反対に、正当な料金って何なのでしょう?

 

 

正当か、不当かを決めるのは誰だ?

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日本ではまずまず大抵のものに始めから値段がつけられています。定価と言われるものです。

「定価以上の値段を取ることが、ぼってるってことじゃない?」

と、ある友人は言いました。

でもね、「定価」の意味知ってますか? その意味は『ある商品について前もって決めてある売値』であり、正当か、不当かという意味はそこにはありません。

前もって決めてある定価で売れば、ぼってないとするならば、10円で購入したものの売値をあらかじめ1万円と決めておけば、それはぼってないことになるのでしょうか?

いやいや、さすがにこれってぼったくりじゃないですか?

 

「適正価格かどうかってことじゃないの?」

別の友人が言いました。

意味を調べると『原価・利潤などを考慮に入れて、適当と思われる価格』とあります。

でもね、誰がどういう基準で『適当』を決めるんですかね? 売る人が自分の生活が成り立つことを考慮に入れて決めた金額のことですか? それが正当ということになるのでしょうか?

いずれにしても、販売側が勝手に決めた値段であることには変わりないように私には思えてならないのです。

売り手が、売り手の都合で決めた定価で、誰もが購入するしかない状況、これは、果たしてフェアと言えるのでしょうか?

 

 

売る人? 買う人? 値段は誰が決めるもの?

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さて、100円の原価のものに1000円の定価をつけて、日本で売ったとします。利益は900円ですよね。でも、誰も、ぼられたとは言いません。だって、定価です。誰が買っても1000円ですから。

でもね、これだけが正しい売り方なんでしょうか?

これだと、

「1000円で買いたい人は買ってね。1000円持ってない? じゃあ、売れないね」

って買い手は突き放されちゃってます。

ここに交渉の余地はありません。

 

でも、値段交渉で売値が決まる社会では、持ってない人は持ってないなりに、交渉することが可能なんです。

「500円しか持ってないんだよな〜、でも欲しいなあ、500円だったら買えるのにな〜」とか、

「え〜、あっちの、店では同じようなの500円だよ〜、1000円は言い過ぎでしょう」とかね。

買う方も必死です。だって、本当に懐具合と相談しなくちゃいけないですから。

もちろん、売る方も、考えます。

売りたい、できるだけ利益もほしい、相手は、はったりをかけているのではないか? この客ならいくらまで払えるのか。

こんな風に値段交渉の裏で、両者の様々な思いがバトルしているわけです。

そして、売りたい人と買いたい人、両者がそれぞれの主張を重ねながら、両者の値段の溝が徐々に埋まり、ひとつの値段に落ち着きます。

値段決定、交渉成立! お買い上げありがとうございました!

値段交渉で価格が決まるというシステムは、買い手も値段決定のプロセスに参加できるのです。その視点から考えると、値段交渉システムもそう悪くないかな、なんて思えてきませんか?

 

 

持てる者が持たない者に施すのは当然?

 

でも、買い手が変われば、交渉はまた一からです。同じ値段に落ち着くとは限りません。だから、値段交渉が当たり前の社会では、売値は一定しません。

それが当たり前なので、売る方も、人によって値段を変えることに罪悪感はありません。

 

値切れないのはあんたの力不足。

ぼられるのはあんたが交渉しないから。

 

さらに、その背景に、持てる者が持たない者に施すのは当然の行いだという社会通念もあるように思えます。

だいたい、持たない者は普段、持てる者から搾取されている、だから、持てる者が高い値段で商品を買うのは当然という理屈です。

 

それが正しいかどうかは、わかりませんが、それがフェアだと思う人々がいて、それをフェアと思う社会では、日本の常識はまるっきし通用しないことは確かです。

逆に、どんな経済状況の人に対しても同じ値段で物を売る日本の社会の方が、アジア人から見ると不自然に見えているのかもしれません。

 

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フェアの定義は国よって違う、フェアかどうかより満足できるかどうかが大切

 

国よって、フェアの定義そのものが違う以上、どちらがフェアかという議論をすること自体がナンセンスかもしれません。

でも、ぶっちゃけね〜、そんなのどうでもいいんだと思うんですよね。

 

あなたがその値段で買いたいかどうか、それが売り手の思惑とマッチするかどうか。

物の価値を決めるのは、買うあなた自身であって、あなたがその値段に満足しているのではあれば、それで問題ないんだと思います。

 

もし、不満があるなら、値段交渉しましょう。

ここはアジアです。

交渉の余地は、意外とどんなところでもあります。

自分でモノの値段をつけられる貴重な機会ともいえます。

 

ぼられた〜と叫ぶ元気があるならば、まず値切れ!

とにかく言ってみる。あなたの希望の金額。

心配しなくても商売人だったら、損をしてまで売る人はいません。あなたの言った金額が原価を下回るようであれば、シッシッと片手で追い払われるだけです。

人はそうやって、失敗を繰り返し、相場を学び、交渉上手になっていくのです。

 

きちんと値切れるようになれば、

そう、あなたも立派なアジア人です。

といいつつも、20年、アジアに住んでも、子供の頃から値段交渉している人々と渡りあるのは難しいもんです。わたくし、連敗記録更新中です。

 

 

 

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