50歳から海外でフリーランスとして生きる

持つべきものは確かな人脈、私たちはサービスやモノを通して、自分を売っているのである

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

 

こんにちは、海外暮らし20年になるmiyachikaです。

日本での学歴や職歴がほとんど役に立たない海外、それも、ネパールなどという経済が慢性的に低迷しているような国に住んでいると、頼りになるのは自分自身。

しかも、当時は、今のようにネットやスマホがなかった時代です。

治安に左右される観光業をネパールで始めた私でしたが、オープンして翌年あたりから、ネパールの治安は悪化。ネパール観光業の低迷が5〜6年続きました。

そんな時に私に仕事する機会をくださったのは、東京での会社員時代のクライアントさんでした。

あの辛い時期をなんとか乗り越えられたのは、そのクライアントさんのおかげです。

持つべきものは、人脈です。

それは仕事をする上でも、人生を歩いて行く上でも、とても大切な財産なのではないでしょうか。

 

 

 

ネパールの観光業がボロボロだった時、東京時代のクライアントさんの予告なし訪問

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1999年、ポカラに客室12部屋というプチ宿マムズガーデンリゾートをオープンしたのですが、タイミング悪かったというかなんというか、翌2000年頃からネパールの治安は悪化、2006年まで観光客が激減するという状況になりました。(注:いろいろありまして、2014年に売却し、再びフリーランスという自由で保障のない身分に戻っております)

いや〜、参りました。

職を捨て、夫を捨て、アパートも引き払ってこの地へやってきた身です。日本へ戻るに戻れず、でも、観光業はボロボロ。

さあて、来月の給料はどうやって払うべ、とほほ。

なんて、考えると、冗談じゃなく、本当に寝付けない日々があったほどです。

 

そんなある日、スタッフが、ポカラ空港から今電話があって、日本人のお客さんが迎えに来て欲しいって言っている、と言うのです。

久しぶりの日本のお客様です。嬉しいじゃないですか。なんでも、ポカラ空港のスタッフがどうやって行けばいいのか困っていた彼らに代わって、電話をしてくれたようです。

普段だったら、空港でタクシーに乗って「マムズガーデンまで」といえば、問題なく行き着けるんですが、運悪くその日はネパールバンダの日(ネパールバンダについては、『ネパールに行くなら知っておきたい ネパール版という不可解なストライキのこと』をご参照ください)。

 

空港に一台もタクシーはありません。もちろん、空港の外にも走っている車はなし。スーツケースを抱え、困っているお客様のお迎えに、スタッフを二人送りました。

空港からうちまで約2キロ。歩けない距離じゃないにしても、本当にお疲れ様でした!

と、ゲートにお迎えに出たところ、え、知っている顔????

 

「宮本さん、お久しぶり。元気そうじゃない」

「ええ〜〜、社長じゃないですか! ええ〜、空港から電話したお客様って社長だったんですか?」

 

そうなんです。東京の会社員時代のクライアントさんだったんです。

いや〜、びっくりしました。

連絡なしにポカラまで社長が来てくれたということも驚きでしたが、社長が私を覚えてくれてることにも驚きました。

だって、私、社長の会社の担当者でもなかったし、セミナーや講習会の時に少しお話ししたくらいなんですもの。

でも、正直、とても嬉しかったです。

 

 

冬物アジア雑貨を求めて遠路はるばるネパールへ

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個人情報などもありますので、ここで社長さんのお名前や会社名は公開を控えさせていただきます。とあるブライダル関連企業の社長さんです。

で、その社長さんがネパールにまで来たのは、もちろん、私に会うため、じゃあありません。

冬物のアジア雑貨を探しに来られたのです。

ブライダル会社と冬物のアジア雑貨にどういう関連があるのかと思われるかもしれませんが、まあ、ここも個人情報にふれることになっちゃうので、詳細は割愛しちゃいますが、つまりは、こういうことでした。

 

アジアの雑貨は基本的に夏向けの商品が多い。しかし、日本には冬というものがある。冬には夏向け商品は売れにくい、だから、冬物のアジア雑貨を探していて、ネパールに目をつけた。だが、英語もほとんどできないし、ネパールの土地勘もなく、知り合いもいない。そこで君のことを思い出した。そんなわけで、冬物雑貨を探すのを手伝ってくれないだろうか。てん、てん、てん。

 

いや〜、なんにしても思い出していただけた事が、最高に嬉しいじゃないですか。

しかも、お仕事として手伝ってほしいという依頼です。

仕事がなくて困ってたんです。

社長が、天からの使いのように見えました。

 

「何でもやります、やらせてください!」、即答でした。

 

マオイストと呼ばれる集団がネパールのあちこちで暴れ、観光業が低迷していた数年間、なんとか収入を維持できたのは、社長のおかげでした。あの時、突然、ポカラのホテルに現れた社長の姿、今でも時々思い出しますよ〜。

 

 

どんな小さな仕事でも、自分を表現し、自分を売り込む最大の営業機会と思え

 

海外で起業したとか、海外でフリーランスで仕事をしているなどと言うと、すごくカッコよく、仕事できるように思わちれちゃったりします。

もちろん、中には、いると思いますよ、すごく仕事のできる人や、商才のある人、ここぞという時の判断力が凄い人。

でも、私は、別にそういう特別にできる人じゃありません。ただ、いつもいつも、危ういところで、人様に助けられて、ここまで来る事ができただけです。

けど、思えば、それって有難く、素晴らしいことですよね。

自分が困った時に助けてくれる人がいるとか、自分という人間を信頼して仕事を任せてくれる人がいるって。

 

海外では、日本の学歴や、資格や、時には職歴だって役に立たないこともあります。

そういう時、頼りになるのは、自分自身の底力みたいなものなんですが、でも、忘れてはいけないのは、私を信じて、支え、応援してくれる人々の存在。

自分だけでやっていけるなんておこがましい考えです。それに仕事というのは相手様あってのことです。

よく、ビジネスは人脈が大切だと言われます。でも、人脈というのは、交換した名刺の数や、フェースブックの友達の数じゃありません

どんな小さな仕事でも、いただいた仕事にはベストを尽くし、その結果得られる信頼だけが、長く続くもの。

 

小さい仕事はしたくない、自分を下に下げるとか言う人もいますが、私はそうは思いません。

どんな仕事も、それは私という人間を表してしまいます。大雑把なところとか、おっちょこちょいなところも時々でちゃうから要注意なんですが、私がどれだけ真剣にやったのか、どんなところに手を抜いたとか、見る人がみたら、多分簡単にわかっちゃいます。

だから、どんな仕事であろうとも、仕事として受けるからには、自分を表現するものであり、今後の仕事のための大切な営業活動なんです。

 

フリーランスというのは、不安定なもの。明日も、来週も、来月も仕事がある保証はありません。

だからこそ、一回、一回の仕事を大切にしたい。そんな風に思います。

 

この記事も、お金をもらって書いているわけではありません。その逆でブログの維持費を払って書いているわけで。

でも、だからといって、手を抜きたくないなと思うのです。

だって、この文章で、私という人間を判断されてしまうのですから。

 

 

 

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