50歳から海外でフリーランスとして生きる

生きる、ということ。自分と向き合う、ということ。

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

 

自分らしく生きるってどういうことだろう?

 

なんてこと、今さら、大の大人が考えるようなテーマでもないだろうと、気恥ずかしく感じてしまう人もいるかもしれない。

 

でも、それは私にとって永遠のテーマだ。

 

そして、私以外にもそんなことを思っている大人たちは案外多いのではないかとも思っている。

 

その答えを知りたくて、今年もまた、とある研修に行ってきた。

 

日常の生活とは離れて自分と向き合う2日間は、私の人生の定期診断のようなものになりつつある。

知っているようで、まだ知り得てない自分と出会うための大切な時間。

 

今日は、そこで思ったことについて書いてみる。

 

 

日常と隔離された時間を持つことの大切さ

 

年に2回、夏と冬に開催されるこの研修の大きなテーマは「生きる」ということ。

 

人それぞれ生き方は違うけど、私たちが生きていくうえで避けて通れないのは、自分と向き合うことだ。

 

自分と向き合うなんて、「べつに研修会になんか行かなくてもできるじゃん」というむきも多い。もちろん、この研修会に出なければ自分と向き合えないわけじゃない。

 

ただ、忙しない日本の日常の中で、じっくりと自分と向き合うのは普通の人には、難しい。

向き合いたくない部分だけ都合よくスルーしてしまうのはありがちなこと。

自分一人では、深い部分まで到達することができなかったり、もっとも根が深い問題が取り残されがちだ。

 

だからこそ、遠くネパールからまた、ここに来てしまう。

 

見たくない自分を見るかもしれないという小さな恐れを抱えながらも、見ずにはいらない自分がいる。

行きたいけれど、行きたくない。

そんな複雑な心境でいつも私は、この研修会に参加している。

 

 

人と話し合うことで自分の思考の癖やループから脱出しやすくなる

 

自分について一番わかっているのは、本来自分自身のはずだ。

 

でもその反面、これまた都合よく、見たくない部分に蓋をしちゃうのも自分自身である。

 

自分の感情や実感でさえ、人は簡単にごまかしてしまう。

さらにはそのような行動を、無意識のうちになかったことにしたりする。

でも、他人には、それが透けて見えることもある。

 

この研修では、一人ひとりが自分を見つめ直すだけではなく、その時に思ったことや感じたことを数人のグループに分かれて話し合う時間もある。

 

自分だけで考えると、自分の思考の癖に囚われて、大事な部分を見落とすことがある。

 

グループトークのいいところは、新しい視点、いつもとは違った角度からの考え方に触れることができることだ。

 

人から言われてハッとすることも多く、自分自身がフォーカスしていなかった部分が人から羨ましく思われていたなんていう嬉しい気づきがあったり、自分が気づかないうちに陥っている逃げの行動を指摘されるという嬉しくない気づきがあったりする。

 

 

自分と向き合い、人生に必要な気づきを得る場

 

だから、私にとってこの研修は、自分とじっくりと向き合う貴重な機会であり、その時々の人生に必要な気づきを得る場だ。

 

そして、私は、ここでは本当によく泣いてしまう。

悲しくて泣くわけではない。

感極まって胸からこみ上げてくる感動とともに涙が溢れるというのが近い。

 

普段から、感情の振り幅が大きいという自覚はあるが、この場では、特にそれが際立ってしまう。

 

毎回、思いがけないところで、ひょっこり思いがけない感情が出てきて戸惑うことは多いのだけれど、今回は、本当の本当にびっくりした。

 

 

「自分だけ蚊帳の外にいるみたいで寂しい」

 

誰も私をのけ者になどしてないのに、勝手に自分で悲劇のヒロイン気取りで泣きながら寂しさを訴える自分に自分で驚いた。

 

 

50を過ぎたオバハンが、寂しくて、いじけていたのだ。

 

 

そして、今、冷静に考えてみると、驚いたを通り越して、めっちゃ赤面ものである。

 

「かなり自分と向き合えている」と思っていたら、またもやその長い鼻をへし折られてしまった。

 

その瞬間はもちろん、痛い

ただ、ある種の小気味良さもあったりもする。

 

自分を発見する歓びとでも言おうか、発掘する歓びとでも言おうか。

 

自分が思っているよりまだまだ奥があるなんて、ますます掘り起こしがいがあるではないか!

 

 

気づきとともに、日々の生活へと帰っていこう

 

セミナー会場やセミナーを受けた直後はものすごくその気になっているのに、日々の生活に戻った瞬間にまた同じパターンにはまり、結局何も変わらず、だからまた同じようなセミナーに出るということを繰り返す。

 

いわゆるセミナーあるある体験。

 

多くの人が陥りがちなところだ。

 

でも、それじゃあ、もったいない。

 

気づくことそのものが重要で、気づくだけで十分なこともなかにはあるけれど、気づいたその時から行動を変える努力が必要な気づきもある。

 

人生は、研修会の外にある。

ここで得たことを自分の人生に生かしてなんぼなのだ。

 

ここで何か気づきを得たということは、自分と向き合えたということであり、そのことはちゃんと褒めてあげれいい。

けれど、そこで終わったのでは、もったいない。

 

自分を変えられるか、人生を変えられるかは、その気づきを毎日の生活の中で活かせるかどうかにかかっている。

 

向き合う、生きる、向き合う、生きる。

 

私の人生は、その繰り返しだ。

 

けれども、それが堂々巡りであってはならない。

この人生は有限。

 

繰り返しつつも螺旋階段のようにわずかでもいいから上昇していたいのだ。

3段登って得意になって、また鼻をへし折られて2段下がって、謙虚になって1段登る。

一段飛ばしに駆け上がっていきたいところだが、実際にはこんなもんだ。

 

でも、それこそが私にとって、生きるということであり、自分と向き合うということなのかなと今は思っている。

 

そして、私の目標は、来年、この文章を読んだ時、「私は、なんと青臭かったんだろう」なんて恥ずかしくなるくらい、自分が成長していること。

 

少しだけ大きな自分になって、また、研修に戻ってこれる日を楽しみにしながら、また頑張る日々が始まる。

 

 

 

最後に

 

この「とある研修会」の名前は開田高原特別研修といいます。もっと知りたいという人はぜひ、お声をかけてください。

 

 

 

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

Comment

  1. アバター Risa より:

    miyachikaさん、いつもフェイスブックでフォローしてブログ拝見しています。わたしも学生時代の恩師がネパール人と結婚して今ときどきネパール支援をしていたり、私自身もネパールにボラんティアへ行ったこともありまして、いつも興味深く拝見しています。
    ネパールだけでなく、深みがあってとても励みにもなったり、本来の自分に戻れるような感じがします。私はイランの人と結婚しました。イランもまた面白い国や人たちでありますが、いろいろとつきあいやなど、時に悩むこともあったりです。
    疲れたらブログを読んでエネルギーをもらえたらと思いますのでこれからも楽しみにしています。

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