50歳から海外でフリーランスとして生きる

選ぶ勇気、諦める勇気

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

 

選ぶ勇気、諦める勇気

 

 

何かを選ぶというというは、そのほかの選択肢を諦めるということである。

 

旅のプランニングしているときが一番楽しいのは、可能性が無限大だからだ。

飛行機の予約を取って、ホテルを予約して、行き先が決まるにつれて何故か、だんだんとワクワクが小さくなって、面倒が増えてくる。

そんな気持ちに私はよくなる。

 

 

分かれ道で前に進むためには、1本だけ道を選ばなければならない。

選べないのは、選ぶ勇気がないだけじゃなくて、選ばなかった残りの道を諦める踏ん切りがつかないからかもしれない。

何かを選んだ瞬間に、選ばなかった残りのものが輝いてみえてくるのはどうしてだろう。

多分、どれを選んでも、そう思っちゃうことには変わりなかったりするのに。

 

 

 

 

 

何かを選択するということは、それ以外の何かを選ばないと決めることでもある。

 

 

例えばランチ一つとっても、諦める勇気を持てない私はグダグダと選べない。

結局投げやりに選んで、失敗したなと思ったりすることも多い。

こんなことなら、最初から直感で食べたいと思ったものを選べばよかったと思ったりもする。

 

 

何かを選ぶことで、可能性が狭まったように一瞬は思えるかもしれない。

けれども、何も選べずにいたら、何も実現せずに可能性だけを抱え込んで人生が終わってしまう。

可能性はあくまでも可能性に過ぎないのに、それは絵に描いた餅のようなものなのに…。

可能性は実現してこそ意味があるものになるというのに。

 

 

自分が選ばなかったものが、とても素敵に見える時がある。

誰かが選んだものの方が正しく見える時がある。

多分それは、ただの責任逃れ。

多分それは、ただの嫉妬。

 

 

何も選ばないという選択肢ももちろんある。

 

 

でも、そんな人生送りたいと、思う人がいるのかな?

何かを諦める潔さを持たない限り、得られないものもある。

 

 

たくさんの後悔と嫉妬を抱えてきた私だから、いま、心底思う。

すっぱりと諦める勇気を持って前に進みたいと。

 

 

けど、肩の力はふっと抜いてね。

 

 

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