海外在住20年の私が考える、アジアで暮らすために、日本人に必要な資質
こんにちは、ネパールからmiyachikaです。
ネパールに暮らしているというと、すごいね、などとよく言われるのですが、いやいや別にすごいわけではありません。
ただ、海外での暮らしに向いている人と向いてない人というのはあるように思います。
そこで、今日は、海外、特にアジアなど日本よりも不便な発展途上国に、長く暮らしていける日本人なら大概持ち合わせている3つの資質について紹介したいと思います。
アジアに暮らす日本人に必要な3つの素質
私が、ネパールに移住して、早20年。この間、多くの日本人が移住してきては、去っていきました。
海外に暮らしているから、すごいとか、えらいとかは思わないですが、最近、海外に長く暮らせる人と、そうでない人が、少し見分けられるようになってきました。
それは、語学力とか経済力とか、海外で通用する資格とか、商才とかそういったものではありません。
もちろん、今述べたようなものは、海外で仕事をして成功するには、必要になってくるのですが、それ以前に海外で暮らす方がのびのびできると人、海外で暮らすと逆にその良さが生かされない人がいるのです。
これはもう、どちらがいいとかではなく、ただ単に性質の違いと言っていいと思うのです。
今日は、海外の中でも、日本よりも生活水準が低いアジアで暮らすのに向いている日本人に共通する3つの素質を、ネパール在住20年の私の視点からご紹介したいと思います。
1. わがまま
我がままな人、つまり自分のありのままに物を言い、行動する人。
こういう人は日本では和を乱す存在として「わがまま」と言われて、嫌われます。
でも、海外では、それが当たり前。アジアでは、そのくらいじゃないと生き延びれない。
だから、日本でわがままと言われる人も、「わがまま」と非難されることがなくのびのびと、十分にわがままさ加減を発揮できます。
本人にとっても、多分海外の方が住みやすいし、周りともうまくいきます。
「私はこうしたい」
「私は、これを食べたい」
「私は、そうは思わない」
我がままでいいんです。というか、日本でわがままと言われるくらいで普通なんです。
アジア人は基本、ワガママに生きています。自分本位、利己主義と日本では非難されるけど、自己犠牲が行きすぎて、自分が何をしたいかわからなくるよりは、マシなような気もします。
2. ずうずうしさ
遠慮という日本の社会で美徳とされている性質は、アジアでは無用なばかりか、理解されません(いや、誤解されるという方が正しいかもしれません)。
ずうずうしいというと語弊があるかもしれませんが、積極性というか、ある種の強引さ、無遠慮さは、アジアに住むには必要です。
アジアでは(欧米でもそうですが)自分の思いや、要求ははっきりと主張しないと、誰も察してなんてくれません。黙っていれば、何も不満はないのだと思われてしまいます。
順番だって、ヨコ入りしてくるやつらがわんさかいます。黙っていればどんどん割り込まれてしまいます。
「並んでいるんだから、後ろに回って!」とガツンと言ってやりましょう。
恥ずかしいとか、ずうずうしいと思われたくないとか言っていては、アジアでは暮らしていけません!
言わなきゃ誰もわからない、ずうずうしいくらいでちょうどいいんです。
相手もできないものはできないで、無理しないから、その点は心配する必要なく、こちらもずうずうしくなれるというもの。
3. いい加減
そして、最も大切かもしれないこと、これは、いい加減であるということ。
良い加減、ちょうどよい加減ともいますが、適当に流すってことも時には大切です。特に、言葉も文化も生活水準も違うアジアでは。
神経質、潔癖性、細かい事にこだわる人には、アジア暮らしはストレスがたまるだけかもしれません。
時間にはルーズ、約束は忘れるし、仕事より私用優先、言われたことも適当にしかできず、そのくせ、権利だけは主張する。
停電が度々あったり、水不足だったり、インターネットがスローだったり不便なことも多々あって。
そんな時も、こんな時も「ま、いいか」と思えるくらいじゃないと、アジア暮らしは、神経がもちません。
日本でだらしないと言われているくらいの人の方が、アジアの居心地はいいものなんですよ。
アジア暮らしに向いている人というのは、日本には向いていない?
わがままで、ずうずうしくて、いい加減。
ずばりアジア暮らしに向いている人とは、そんな人。
って〜、これって、逆に言うと日本暮らしに向いてない人とも言えませんか? 日本だと、嫌われるキャラクターベスト3って感じではあります。
かくいう私も、この三拍子、揃っちゃっているんでしょうね〜(笑)。なんか、日本人失格って感じですが(焦)…。
いやいや、笑っている場合じゃないんですが、いわゆる典型的日本人的であればあるほど、アジアでは生きにくいのかもしれません。
日本にいると、日本の社会が全てですから、気が付かなくても当然なんですが、実は、日本の社会は世界でも特殊です。
日本人ほど、几帳面で、義理堅く、清潔好きで、時間に正確で、協調性を重んじる民族は、いないと思った方がいいです。
これ逆の面から見たら、融通が利かなく、頭はコチコチ、みんなと一緒であることが求められる社会とも言えます。
こんな日本の社会からはみ出しちゃうようなタイプの人が、アジアに住み着いている人には多いように思われて仕方ありません。
もちろん、こういう偏ったタイプの人間だけが、海外暮らしに向いているというわけではなく、どんな場所でも対応可能な応用範囲の広いタイプの人もいることはいますが、これ、非常にできた人間で、全体の割合からいうとほんの一握りにすぎないように思います。
すごい人だからアジアに住めるのではない、アジアの水が合うか合わないか
私なんぞは、周りの人の私に向けられる「ネパールに暮らしているなんてすごいね」という言葉がどうもぴんときません。
だって、すごいから暮らしていけてるわけじゃないんです。
どういう意味で「すごい」というのでしょう?
私の性格的に日本で暮らすのに向いてなかったというか、自分の居心地のいい場所を求めてたどり着いたのが、たまたまネパールだったというか、本当に、それだけの話なんです。
それは、アジア大好き、ネパール大好きっというのともちょっと違います。好き嫌いというよりは、水が合う、合わないという方が近い感じです。
そして、生きていくためには、言葉や仕事が必要で、それはむしろ後から付いてきたという感じです。
のんびり暮らしているように見えて、実はシンクロナイズドスイミング状態。水面下では必死で足をバタバタさせているだけ。
それのどこがすごいのでしょう?
でもまあ、どこに住んでいようが、何をしていようが、たいていの人はシンクロナイズドスイミング状態なのかもしれませんが。