50歳から海外でフリーランスとして生きる

国際結婚して海外での子育てで、日本語を習得させるために、私が実践したこと

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

こんにちは〜、ネパールからmiyachikaです。

国際結婚して、外国での子育てで問題になることって、いろいろあると思いますが、子供の言語の問題もその一つ。

そして母親のわがままとは思いつつ、やっぱり子供には 日本語を話してほしいと思ってしまいます。

今日は、海外での子育て、娘に日本語を習得させるために、私が実践してきたことをご紹介しますね。

これから、海外で子育てしようと思っている方の参考になれば幸いです。

 

 

初めての言葉がネパール語だったことにショックを受けた母は…

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30過ぎての初めての子供ということもあり、一人娘は私の宝もの! もちろん、私が彼女に話しかけるのは日本語のみ。

それなのに、それなのに、彼女の第一声は、

デウ(ネパール語でちょうだいの意味)」

でした。

な、な、なんとネパール語

 

母は、ショックでした。

まあ、でも、よく考えれば当たり前なんですけどね。

うちの場合は、ネパール人のツレアイがおりまして、住んでいるところもネパール。出産もネパールで、生まれた時からネパール人の親戚や私の会社のスタッフが子守という状態でしたから。

日本語で彼女に話しかけるのは、母である、私一人。

もう、圧倒的に量で負けてます

 

でも、このままじゃ、日本語を話せるようにならない!

家でも職場でも日本語を話す人が一人もいない環境に身を置いている母としては、やはり娘には日本語を話してほしいと思ってしまいます。

そして、言葉というのは、文化なんです。

日本の文化をどうしても理解してほしいという思いがあったので、そうなると日本語がわからないことには難しい。

将来的に、日本に行きたいと思うかもしれないし、私の里帰りの度に、娘だけ日本語がわからない状態だと厳しいし、語学を習得して損はなし!

そんなわけで、その日から、私と娘の日本語レッスンが始まったのでした。

 

 

1歳から5歳までの間に、娘の日本語習得のために私が実践したこと3つ

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日本で育つ日本の子のように自然に日本語ができるようになるためには、日本語の量を増やすしかありません。つまり、日本語に接する時間をできるだけ多くすること。

そのためには、親の努力、それも日本語が母国語である親の努力が必要です。

そして、幼児の間の日本語習得というのは、お勉強であってはなりません。それは子供の負担となり、ストレスとなり、かえって日本語嫌いになる可能性もあります。

あくまでも、日々の生活の中で、日本語にふれる時間をなるべく多くとるということです。

そして、私が実際に心がけたことが次の3つです。

 

娘に対して、日本語以外使わない

これはそう難しいことではありません。娘(あるいは息子)に話しかける時は、日本だけということを徹底しましょう!

配偶者が日本語ができないのであれば、尚更です。もし配偶者が日本語を話せるのではあれば、家の中の言葉は、あるいは夫婦間、家族間だけの言葉は日本語にしましょう。

家の外に一歩出れば、現地の言葉で溢れています。家の中を日本語だけにしたからといって、現地語が出来ない子になることを心配する必要はありません。

 

 

幼稚園の入園を先送りする

子供は友達から言葉を多く学びます。だから、幼稚園に行き始めたとたん、現地語の能力がガーッとあがり、逆に日本語が伸びにくくなることもあります。

ネパールの私が住む街では、3歳くらいから子供を幼稚園にあげる人が多かったのですが、私はあえて、5歳まで幼稚園にはあげませんでした。

ネパールの幼稚園では、コミュニケーション言語はネパール語なのですが、早いうちから英語を覚えさせるのです。

ネパール語も日本語もまだあやふやな状態でそこに英語を混ぜたら、娘が混乱するのではという不安がありました。

まずは、日本語の基礎をしっかり身につけること。そのために、幼稚園の入園はぎりぎりの年中さんまで先送りにしました。

 

日本の子供番組を毎日見せる

娘をテレビっ子にしてしまった弊害もなきにしもあらずですが、日本の子供番組の影響はかなり大きかったと思います。

当時は、まだビデオデッキの時代でしたから、日本に里帰りした時にNHK教育の朝の子供向け番組を目一杯録画しました。「お母さんと一緒」とか「日本語であそぼ」とか、「いないいないばあ」とか、そういう一連の幼児向け番組です。

これをネパールにいる間毎日見せました。子供向け番組ですから、楽しんで見てました。楽しみながら自然に覚える、それって大切なことだと思います。

 

 

6歳から15歳までの10年間、日本語の読み書き習得のために私が実践したこと

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努力の甲斐があってか、小学校にあがる前には、娘の日本語はかなり上達し、会話に関しては日本の幼稚園児とあまりかわらないレベルだったと思います。

ただ、大変なのは、読み書き。

日本語には、漢字というものがあるんです。

義務教育で習う漢字は2,000字以上あるんです。

2,000字ですよ。

なんとなく覚えられる数ではありません。

 

日本で育った私たちでさえ、毎日漢字ドリルをして、やっとこさ覚えた漢字、外国で、普段現地の学校に通う子供がどうすれば漢字を覚えられるでしょう?

とは言っても、漢字を覚える方法はやはり繰り返ししかないでしょう。コツコツと地道に努力すること。

ただ、これ、母娘が自宅でやろうと思ってもなかなか大変、日々の学校の宿題の多さにそれだけで四苦八苦、漢字はいつしか後回しになり、いつしかなしくずしにやらなくなってしまうでしょう。

そこで私が実践したのは次の2つのことです。

 

 

日本語読み書き教室を開催

 

私の住むネパールのポカラには、日本人が少なすぎて、日本人学校も、日本人補習校もありませんでした。

そこで、ポカラに住む数少ない日本人に声をかけて、土曜日の午前中、日本語の読み書き教室をやることにしました。

たまたま同じような年齢の子が多かったのは幸いでした。6家族で子供9人、ネパール人向けに日本語を教える語学学校の図書室を土曜日の午前中だけ2時間借りて、先生は親か、ポカラに住む日本人の方などにお願いしました。

教科書に関しては、日本の政府の計らいとして、海外在住の邦人の子女は日本の学校で使われている教科書が支給されます。

その教科書を使用して、毎週土曜日の午前中2時間のみでしたが、国語の授業を開始しました。

たったの週に1回、2時間のみですが、それでも、家で母娘でやっていれば毎週続けられたかどうか怪しいものです。

わざわざ外部の部屋を借り、少額ではありましたが、授業料も月額約800円程度徴収し、先生にはタクシー代程度の謝礼を払いました。そうすることで、わざわざ行くというモチベーションをキープしたのです。

結局この学校は、当時の子供たちが高校生になるまで約10年間続きました。

漢字2000文字は達成できなかったけど、それぞれがそれぞれなりに読み書き能力を伸ばしたことは確かです。拙い日本語かもしれませんが、短い作文も書けるようになったことはちょっと感動でした。

 

 

日本語のマンガ

 

文字だけの本はなかなかとっつきにくくてもマンガなら楽しく読めるのでは? 永遠の定番「ドラえもん」や女の子の憧れ「セーラームーン」など子供がとっつきやすいマンガをセレクト。

マンガでもなんでも、自分で読むということを習慣化してほしいと思ったのです。本が読めるようになれば、自分の勉強したいことを、自分で本で調べられるようにもなります。

その取っ掛かりとしてのマンガ。

幸い、うちの娘はテレビやマンガや物語がとっても好きだったので、この方法は功を奏しました。

テレビっ子の上に、マンガっ子になっちゃいましたけどね。

 

 

日本語が子供たちの未来の選択の幅を広げてくれることを願って

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国際結婚で海外に暮らしている状況で、子供に日本を習得させたいというのは、所詮親のわがままにすぎないのかもしれません。

もちろん語学は習得して得することはあれ、損をすることはありません。

ただ、その習得のために犠牲にすることも大きいということを、親もしっかり自覚しておくべきでしょう。

ネパールのように現地の学校が週休1日のみという国で、休みの日に日本人補習校や日本語の教室に通わせるということは、子供の休みがないということを意味します。

そうではなくても、ネパールでは、日常生活はネパール語、学校の教科書は英語とすでに二ヶ国後、そこにさらに日本語ですから、一番大変だったのは子供たちだったと思います。

子供にたちに大きな負担になっている可能性も高いのです。

将来日本に住むかどうか、日本をたびたび訪問するかどうかどうかは、子供たち次第です。

親といえども、子供の人生を決めることはできません。選択するのは彼らです。

ただ、子供たちの未来が少しでも開けたものになってほしい、親のできることといえば、その選択の幅を広げることくらいなのです。

 

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