ネパール人女性はできていて、日本女性ができなくなってしまったあることについてのお話
ナマステ〜、ネパール在住フリーランスライターのみやちかです。
今日のお話は、ええ〜と、その…女性のアレについてのお話です。
以前、ネパールの女性と話しをしていて、衝撃的な事実が発覚しまして。ネパールの女たちは、今でも、けっこうアレができる人が多いようなんです。
それで、ちょっと調べてみたら、ネパール人女性だけではなくて、実は日本女性も昔は、できている人がいるという話も出てきました。
へええ〜〜とちょっとびっくりです。
そう、今日は、月経血コントロールについてのお話です。
村の女性は、そもそも、パ○ツをはいてないのですよ
今では、ネパールの地方都市の薬局や雑貨屋でも、普通に生理用ナプキンが販売されています。村でも、ぼちぼち見かけるようになりました。
ここ15年くらいの間に、使い捨てナプキン文化は、急速にネパール全土に広がりつつあります。
都会に住む若い子の場合は、使い捨てナプキン使うのが普通になってきました。
が、年配の女性には、まだまだパンティをはいてない女性も多いのですよ。特に村はね。
村に住む、うちのツレアイのお義母さんもそうです。義理のお姉さんも村にいる時は、はいてない模様。だって、牛小屋の裏で用をすます時、パンツおろす所作がないんです。ただ、普通にしゃがむだけ。
って、トイレないから外ですますわけじゃないんですよ。トイレは離れにあります。が、小の時はわざわざ遠くのトイレにいくのがめんどうなんでしょうね。牛小屋の裏で十分って感じのようです。
まあ、明治時代の日本の女性も、きものの下は、何もはいてないのが普通だったんですものね。ネパールのサリーも同様で、その下には何もはかないのがちょっと前までは、普通でしたし、村では年配の女性は今でもそうらしいのです。
古いサリーの端切れが生理用ナプキン替わり
パンティーあってのナプキンです。何もはいてないということは、当然、ナプキンなしってことですよね…。
で、ナプキンなしでどうするの?ってことなんですが、ゆえに、生理中は台所仕事できない、母屋にも当然入れない、水場にもいけない、生理小屋で過ごすってことだったらしいのです。
ナプキンがある現代でも、まだこの風習は、穢れの意識とともに生きていて、様々な議論を巻き起こしていますが、その話を始めちゃうと、その話だけで終わっちゃうので、それは、また別の機会にするとして、今回は、ナプキンの話を続けましょう。
最近の女性は、さすがにパンツはいている人が増えてきています。が、だからといって、使い捨ての生理用ナプキンをみながみな使っているかというと、そうでもありません。
今時の学生さんたちは、使い捨てナプキン派が多数なんでしょうが、まだまだ布派もいるようなんですよね。
ポカラの女性技術指導センターみたいなところで働いているお母さんたちに聞いてみたことがあるんですが、古いサリーの布を折りたたんで使っている女性がけっこういました。
布ナプキンといえば、布ナプキンなんですが、ハンカチ程度の大きさでぺらぺらに薄いサリーの布です。それをパンツに敷いて使うらしいんですが、そんなもので大丈夫なの? って思っちゃいますよね。
でもね、その布は万が一の保険のようなもので、おしっこと同じようにある程度たまったところで、トイレで出しちゃうんですって。
だから、1日中布一枚で大丈夫だっていうんです。
まじっ!?
そうなんです。ネパールには、ある程度月経血コントロールができる女性がまだまだいるんです。
大和女性も昔はできていたらしい
もちろん、きもの時代の大和なでしこたちも同じ問題を抱えていました。それ故に、昔の女性は、ある程度、月経血をコントロールできていたようなのです。
でも、今の私たちはどうでしょう?
完璧には無理だとしても、アレがある程度コントロールできるという話すら、私には驚きでした。
が、ある時期から、布ナプキンを使い始めたことで、ある程度はコントロールできるかもと、私自身の体験から思うようになったんです。
布ナプキンは自分で洗わねばなりません。でも、できるだけ洗い物を減らしたいですよね。主婦なら誰でも、そう思うはず。
で、できるだけ汚したくないという気持ちがあるせいかどうかわからないけれど、布ナプキンにしてから、『あ、来るな』という感覚は少しわかるようになったんです。
多分、使い捨てナプキンなどなかった時代の昔の女性は、そんなものがないがために、感覚も敏感だったのだろうと、想像できます。
便利になることで、退化してしまうものもある
月経血コントロールに限らず、便利になるってことは、いいことばかりでもないのかもしれません。
便利になったがために、使われなくなった私たちの感覚は退化してしまうようです。
そういえば、電話やモバイルなどなかった時代、ネパールの村人は、かまどの火で来客を知ることができたようです。
昔は、かまどの火が今日は来客があることを教えてくれたと、村のおばあちゃんたちは語ります。
どんな風にかまどの火が教えてくれるのでしょう。
もっと詳しく聞きたかったけど、なまりの強いネパール語では、それ以上よくはわからなかったのですが。
私たちは、文明の恩恵を受けて生活しています。
それに感謝することは必要ですが、頼りすぎて、人間がもともと持っていた感性や感覚みたいなものはなくさいようにしていきたいな〜。
そんな風に思う、みやちかです。