50歳から海外でフリーランスとして生きる

国際結婚ならなおのこと!『逃げ恥』のみくりママの、仕事も家庭も意志がないと続かない、という名言に共感

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

 

こんにちは〜、アラフィフ、国際結婚女子(いくつになっても女子という言葉を使いたい女心です)のみやちかです。

 

私の火曜日のストレス発散だった『逃げ恥』が終わってしまい、どうしていいか途方にくれております。

というのは、冗談ですが、思わず笑ってしまうパロディの合間にさらりと突っ込んでくる名言には、何度、はっとさせられたことでしょう。

 

数々の名言があるのですが、私の中の一位はこれ。

「意志がなきゃ続かないのは、仕事も家庭も同じじゃないかな」という、みくりママの発言!

このセリフ考えた人と私、一緒に酒でも飲んだら、絶対意気投合できると思います。

 

そう、そう、私もそう思っていたんです。

日本人同士の結婚だって、そうなんですから、国際結婚ならなおのこと。

続けようっていう、お互いのつよ〜い意志が必要じゃないかなと思うのです。

 

 

みくりママ、桜の名言に大共感! 愛し続けることは努力を要する!

 

契約結婚という切り口から結婚の意味、主婦の思いや様々な恋愛の形について等々、よくよく考えると様々な問題提起がちりばめられていたドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」。

 

先日は、最終回における、みくりの伯母の百合ちゃんの、自分で自分に呪いをかけるなという名言について、ついつい熱く語ってしまいましたが、私がこのドラマを通して、一番ぐっと来た名言は、みくりまま、桜の発言でした。

 

『逃げ恥』の第8話、主人公のみくりは、大好きな平匡さんに拒絶され、実家へと逃げ帰ります。

実家で過ごすみくりは、ある日の夜、天然系ラブラブ夫婦と思っていた、母、桜の発言で、自分は、単に逃げてきただけだということに、はっと気付くのですが、その時の母、桜の言葉がこれ。

「意志がなきゃ続かないのは、仕事も家庭も同じじゃないのかなあ」

 

新婚ホヤホヤの若い人には言えないセリフです。

はたからみたら、天然系でラブラブお調子者カップルに見えちゃうみくりパパとみくりママですが、30年近く仲良し夫婦でいるには、お互いの努力っていうのかな? そういうものが絶対にあったんですよね。

うんうん、日本でバツイチ、ネパールで国際結婚している私は、思わず、テレビを前に頷いてしまったくらいです。

 

このセリフの前にも、いいセリフがあるんですよ。

「愛しているわよ、お互いに努力して!

みくりママは堂々と言い切ります。

そうだ、愛とは、努力を要するものなのだ〜 !

 

努力と言うと、我慢するみたいに取る人もいるかもしれせんね。

でもね、ここでいう努力して愛するっていうのは、思いやりっていうのかな、相手をいつくしむ気持ち、相手の幸せを願う気持ち、相手を大切にしたいと思う気持ちのことなんじゃないかなあと思うのです。

 

夫婦って、ずっと一緒にいると、してくれて当たり前になって、してくれないと不満に感じたりするようになりがちですよね。私の最初の結婚の失敗は、まさにここにあったように思います。

 

してほしい、気付いてほしい、わかってほしい、なぐさめてほしい。ほしい、ばかりがいっぱいで、私は一体彼に何かをあげることができていたのかな? 今でこそ、そう思うのですが、当時はそんな余裕もありませんでした。

 

もし、あの時に、相手を思いやる気持ちがもうちょっとあったら…。

いい関係を続けていきたいという強い意志を持って、愛する努力をしていたら…。

そしたら、もしかして、違う結果になっていたかもしれないなあとアラフィフになって、やっとちょっとわかった気がします。

 

 

いろいろ違うのが当たり前の国際結婚だからこそ、続けていこうという意志が重要になってくる

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同じ日本人同士の結婚でも、生活環境や、育ってきた背景、生活習慣が違う他人が一緒に生活していくのは、簡単なことではありません。

それどころか、民族、宗教、言葉、文化、風習、冠婚葬祭のしきたり、食生活に、住環境、生活水準、生活のタブーまであらゆることがまるっきり違っている国際結婚。

 

愛は人種も宗教も言葉をも超えるなんて、きれいごとは、私は、決して、言いません。

もちろん、所詮、人間ですからね、瑣末な表面的なことは違っていても、根本はそう違うわけじゃありません。だから、人種や、宗教や、言葉や年齢も超えた愛だって、存在すると思います。

でも、ただ、愛するってことと、夫婦として、家庭を築いて生活をしていくってことは違うってこと。

 

日々の生活では、人権問題みたいな大きなことじゃなくて、食事の内容の違いとか、掃除の仕方とか、ちょっとした習慣の違いがストレスになってきます。

子供の教育の仕方、親戚との付き合い方、モラルの違い、そういう小さな違いが積み重なるといつか大きなずれになっていくこともあります。

 

自分ばかりが我慢しているという思いがいつか爆発してしまうこともあります。

(そういう思いが爆発すると、こんな記事を書いちゃったりします。「アジア人と国際結婚して海外移住した日本人女性が、ストレスに感じる5つのこと」

 

人って、自分ばかりが我慢しているなんて風に、自分のことしか見えてないと、思いやりの気持ちを忘れちゃうんだと思います。

 

相手だって、きっと我慢している部分はきっとあって、自分に合わせてくれている部分もあって、そう思うと、感謝の気持ちだって湧いてきます。

感謝の気持ちがあると、自然と、次は自分が合わせてあげたいと思ったりします。

 

たくさん違いがあるからこそ、結婚生活を続けていくには、お互いに歩み寄る努力、譲り合う努力が必要です。

そして、それは日本人同士でも同じことなんですよね。

 

 

「運命の相手」という亡霊に振り回される前に、目の前の人を全力で愛してみたら?

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ただただ、ドキドキして、相手の長所しか見えなかった恋愛時代の幻想が解けて、相手の欠点や現実が見えてきた時、「運命の相手ではなかった」と切り捨ててしまうのは、簡単です。

 

でもね、ここでもみくりママ、桜の名言は続きます。

運命の相手なんてものはいないという桜は、その次に、

「運命の相手に、す、る、の!と断言。

運命の相手とは、待っていて、与えられるものではなく、自分で積極的につくるもの。それも一つの考え方だと思います。

 

もちろん、生まれる前から定められている運命の相手との運命的な出会い、なんてものがあってもいいなあ〜とも思うし、ないとも言い切れないけれど、例え、それが本当に運命の出会いだとしても、意志を持って、関係を継続する気持ちがなければ、運命の相手にはならないもかもしれません。

 

目の前の人を全力で、本気で、思いやり、強い意志を持っていい関係を築いていこうと努力するならば、それこそが「運命の相手」をつくるのではないでしょうか?

 

「運命の相手」という亡霊に振り回される前に、今、自分の側にいて、自分を支えてくれている人に、応えられる自分でありたいものです。

 

とはいえですよ、実際、自分のツレアイに対して、そりゃ、いろいろ文句もあるし、頭にくることもあります。

でもね、ネパールで私が20年もやってこれたのは、うちのツレアイのおかげであるのも確かです。

アウェイの私を支えてくれている大事な存在です。

にも拘らず、仕事がうまくいかない時とか、忙しくて余裕ない時とか、い〜っつも八つ当たりしてゴメンなさい。

 

こういう場所だとちゃんと謝れるのに、面と向かうとなかなか、言葉にできません。

でも、こういう思いをちゃんと言葉にするのも、いい関係を継続するために必要なことなんだよね〜と少しは、素直に思える今日この頃です。

 

 

 

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