50歳から海外でフリーランスとして生きる

アジア人移民で溢れるシドニーで、毎日ネパール語とダルバートで過ごした私が感じたこと

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

 

ネパール人の姪っ子の結婚式に招待されて、初めて訪れたシドニー。

あれあれ、ここは白人の国だと思っていたけど、なんだかアジア人の方が多いような…。

電車に乗っても、聞こえてくるのは、英語じゃなくて、様々なアジアの言葉。

中国語、韓国語、ベトナム語、ヒンディー語、等々。

そして、私ときたら、シドニーまで来たのに、

毎日ネパール語に、ネパール料理ってどうなの?

 

ああ、シドニーでもネパリはネパリなのでした。

 

 

アジアの雑踏は好きだけど、日本育ちの私には電車のホームの方が安心感がある。

 

さて、初めてのオーストラリア、シドニー。

ツレアイと二人旅のはずが、まさかのドタキャン一人旅。(彼がネパール人でオーストラリアビザの申請で拒否されちゃったからですが、この件については、『シドニー在住の姪っ子の結婚式とネパール人のビザ事情』を参照ください!)

 

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でもまあ、一人旅は嫌いじゃないし、向こうではネパール人の姪っ子待っていてくれるし、行ってみましょう、って感じで行ってきました。

 

シドニーの空港はシステマチック、日本パスポート保有者である私は、入管手続きも、モニター画面を使ってセルフで終了。預け荷物もスムーズに出てきたし、出だしは順調です。

空港は近代的で、綺麗だし、入管、荷物受け取り全てスムーズ、さすが、シドニー、さすが先進国!

なんて、ネパールみたいなアジアの田舎から出てくると、そういう当たり前のことに感動しちゃうもんなんですよ。普段、日本に住んでいる方には当然なんでしょうけど。

そして、税関を抜けると、姪っ子ジュナがちゃんと待ってくれていました。

ふふふ、感動の再会です。

2年ぶりかな〜。うちの娘が小さい時、おむつ交換してくれたり、遊び相手になったりと、一番世話してくれたのがジュナでした。

ほんとに、いい子なんですよ、ジュナは。私の一番好きなネパール人です。(ってツレアイは何番じゃい?)

 

ナマステ〜、ジュナ、アラマイ? (ナマステ、ジュナ、調子はどう?)

 

なんて、のっけからネパール語ですが。

 

彼女が借りている部屋は、空港からバスと電車を乗り継いで1時間。英語表示のあるバス停に、運行時間予定表、行き先が英語表示されたバス。駅の切符の自販機に、電車運行を示す電光掲示板、そういう当たり前のものがあるって便利だな〜ってしみじみ。

最近は、アジアばかり旅していますが、アジアの地元の公共交通機関をツーリストが使うの、めっちゃ大変なんですよね。行き先は現地語でしか書かれてないことも多いし、運行スケジュールがあるのかないのか、あってもその通りに動いているのかわからないし、運行ルートはどこにも書いてないし。ツーリストは高い金払ってタクシー乗れよってことなんだろうか!

普段アジアでは、そんな風にとまどうことが多いのに、やっぱ、先進国は親切だな〜(いや、これが普通、スタンダードなんでしょうけどね)、ちゃんとインフォメーションがある!!(余談ですが、シドニーの電車の運行は、スマホでチェックできます。『Yahoo!路線』みたいなシドニーの電車運行状況、乗り継ぎ情報を調べることができるアプリ『TripView Lite』は便利ですよ)

東京で10年近く暮らしていた私にしたら、シドニーの電車の混み具合なんてかわいいものだし、勝手知ったる都会生活も、たまにはいいなあ〜!

でも、電車に乗っていると、あれ、あれ?

なんか違和感。

聞こえてくるのは、英語? じゃ、ない?

中国語? コリアン? あとは、スペイン語かな? そしてネパール語も?

うん? ここは本当にシドニーなのって感覚です。

 

 

移民の街シドニーは想像以上に、アジア人であふれていた

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いや〜、シドニーってもっと欧米人社会なのだと勝手にイメージしていました。行ってみないとわからないことって本当にたくさんあるんですね。

よくよく周りを見回せば、欧米系の人より、圧倒的にアジア人が多いじゃないですか。

中国人でしょ、韓国人、マレーシア人、タイ人、ベトナム人、インド人、アラブ系の人、そして、もちろんのことネパール人もいるし、さらに日本人。アジア人の方が多いんですよ、電車の中。車内は6割以上はいつもアジア人です。

しかも、ツーリストって感じじゃなくて、そこで働いています、大学に通ってますって感じの人。

よく見れば、電車の中だけじゃなくて、駅前のパン屋やカフェの売店の売り子さんもアジア人の方が多いじゃないですか。

しかもレストランもアジア大集合って感じで、中華料理屋に、シシカカブ屋、ベトナム料理屋に、タイ料理、韓国焼肉レストランもあったりします。日本料理屋も寿司屋を始めたくさんあるし、中華マンを売る店とか、インドカレーの店とかも見かけました。そうそう、モモやサモサまで食べられます。

後日、私は、ブルーマウンテンへネパール人団体様とモモとサモサと一緒にでかけることになったし。ブルーマウンテンでモモとサモサってありですかね?)

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後で姪っ子に聞いたところ、シドニーは本当に多くのアジア人が住んでいるらしいのです。そして、バンコクの中華街とか、シンガポールのインド人街みたいに、それぞれの民族が固まって住んでいるエリアもあるらしいのです。

姪っ子の住んでいるエリアは、やはりネパール人が多いエリアだとか。彼女が結婚披露宴をあげるレストランがあるのはロックデール(Rockdale)という駅の近くでしたが、この駅近辺もネパール人が多いエリアらしく、このレストランもネパール&インド料理レストランだったし、この駅前には、サリーを売っている店までありました。

ネパール人が経営する日用品店では、お米やダルやマサラも売っていたし、ヒンズー教の神様のポスターとかお供えセットまで手に入ります。

一体、ここは、どこ?

一瞬自分がシドニーにいるのか、どこにいるのか、不思議な気持ちになるmiyachikaでありました。

 

 

海外のネパール人たち、ネパリはシドニーでもやっぱりネパリだった

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ジュナがシドニーに留学してしまった当初、私はいろいろと心配しました。

奥手で真面目なジュナが欧米人に混じってどんな大学生活を送っているのだろうかと。アジア人、しかもネパール人ということでクラスメートと馴染めないのではないか、ちゃんと友達ができるのだろうか、欧米人社会の中でちゃんとアルバイトが見つかるのだろうかと。

でもね、そんなこと心配する必要全くなかったんです。

だって、シドニーはこんなにもアジア人で溢れていて、しかも、ネパール人コミュニティまであるんですもの。

ネパール人コミュニティは内部でさらに、ネワール人会とか、グルン会とか民族の会にまで分かれているようで、それだけたくさんのネパール人が住んでいるんですね。

しかも、ダサインとかティハールといったネパールのお祭りもコミュニティで祝うのだとか。なんか、生活様式はモダンでも、行動様式はネパールにいる時とあまり変わってないかも???

結婚式披露宴だって、出て来る料理はネパールの国民食ダルバートのビュッフェだし。出席者の9割以上はネパール人、女性は民族衣装のサリーかレンガ着用ですよ。

これじゃあ、ネパールシックになるわけがないんです。

 

聞いてみれば、大学留学時代も、留学先の大学は、アジア人が多く、クラスメートにネパール人もたくさんいて、授業以外は英語あまり使わなかったとか。

へえ、シドニーの大学もビジネスなんですね。ビザのために大金を払ってくれるアジア系留学生のための大学というビジネス。そういうカテゴリの大学もたくさんあるらしいのです。

そして、そのビジネスに金を払って、毎年たくさんのネパール人がスタディビザを得てオーストラリアへと向かいます。

シドニーのネパールコミュニティはそうして、またどんどん大きくなっていくのでしょうね。

 

 

カンガルーもコアラもなく、ダルバートとネパール語の日々

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そんなわけで、姪っ子の家に寝泊まりした私も、滞在中の1週間、たっぷりとネパールコミュニティに浸かりっきりでした。

入れ替わり立ち替わり、姪っ子の友人たちが家に招待してダルバートをごちそうしてくれるし、一人で観光に行けるというのに、わざわざ同行してくれるし、シドニーまで来て、毎日ネパール語で会話して、ダルバート。

結婚式がメインイベントの1週間でしたから、もともとたいして観光する時間はなかったし、観光はできなくても仕方ないなという気持ちではありましたが、カンガルーもコアラも見ることなく、ネパール人と毎日接する1週間になろうとは。

お節介でゲスト好きなネパール人の性格は、シドニーでも健在のようです。

 

ありがたいような、

ありがた迷惑のような、

でも、貴重な体験ができた1週間ではありました。

 

なんか、シドニーに旅行してきた気は、全然しないですけどね。

都会になったネパールに行ってきた感じ。

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でも、世界の縮図みたいなものを、少しだけ垣間見たような気もします。

 

「彼ら(オーストラリアの国籍を元々持っている白人の人々)がさ、私らにビザ出すのはさ、労働者が必要だからなんだよね。そのくせ、私らを見下してる」

ジュナの友達は、最近イミグレでビザの更新時に不愉快な思いをしたようで、ぽつりとそんなことをつぶやきました。

 

シドニーの大学を卒業して、就職しても、なかなか取れない永住ビザ。大学の成績や、英語能力テストの結果や、これまでしてきたアルバイトの内容、就職先の仕事の内容などすべてがポイント制で、決まった点数に至らないと永住ビザはでないそうです。

学生ビザのうちは、お金を落としてくれるお客様という面も半分はあるから、ビザを出してくれるけど、大学を卒業した後は、優秀なアジア人しか必要ないってことなんでしょうね。

まあ、国としては、そりゃ、そうなんでしょうけど、なんでしょね。先進国の傲慢さというか、身勝手さというか、そんなものを感じます。

 

住む国によって、全く生活水準が変わってくる今の世界の現状だと、先進国に人々が移動したがるのは自然なことかもしれないけど、それでいいのか、この世界!

たくさんの人がすでに何度も訴えていることですが、この世界の不公平が少しずつ減っていくといいなと思いました。

 

シドニーに行ったからこそ、見えてきたものがありました。

旅は私にとって、いつでも、学校以上にたくさんのことを教えてくれます。

それにしても、シドニーでも、ネパリはネパリだったと感じた1週間でした。

 

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