50歳から海外でフリーランスとして生きる

言語自体が持つキャラクターは、それを使う人の印象をも左右する

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

 

こんにちは、日本語どころか英語さえネパールより全然通じないチェンマイで、真剣にタイ語の勉強をすべきかどうか検討中のmiyachikaです。

でもね、何故ここに、日本語? っていうところで、日本語表記を見かけたりもします。

それも、日本人に向けてというよりは、タイ人に向けて、なんです。

ブランド化というか、イメージ戦略というか、日本語の形自体がアート的に使われているというか。ファッションなんですかね?

タイ人の若い子に聞くと、日本語はキュートなイメージがあるようです。

そういえば、タイ人が日本語話す時って、タイ語話す時以上に『かわいい』感じがするかも。

言語は、それぞれに性格を持っていて、それを話す人の印象をも変えてしまうくらいの影響力を持っているのかもしれません。

 

 

チェンマイのお気に入りカフェのお姉さんは、日本語をキュートだと言った

 

チェンマイ大学正門から2キロ圏内、学生の多いエリアにそのカフェはあります。働いている人はみんな若く、カフェの敷地内には、アトリエとか作業所とか、ワーキングスペースのようなものがあって、もしかしたら、学生か卒業生がみんなで運営しているのかもしれません。

そのカフェの居心地がよくて、何度か行きましたが、なぜかドリンクメニューのところどころに日本語表記があるんです。

 

それで、「もしかして、オーナーさんは日本人なの?」と聞くと、そうではないと言います。

「じゃあ、どうして日本語が書かれているの?」と言うと、「Japanese is cute.(日本語はキュートだから)」という返事が返ってきました。

なるほど、デザイン的に、視覚的にキュートだから、メニューのあちこちに日本語が書いてあるわけですね。

 

でも、それって、日本における英語と同じかもしれません。

日本でも、ロゴとか、雑誌タイトルとか、店名とか英語で書かれていること多いですよね。あれって、英語で書いた方がオシャレで、格好いいからですもんね。

逆に日本人にとって日本語だと野暮ったいイメージです。LOVEと書かれたTシャツは平気で着れるのに、愛と書かれたTシャツを着るのは抵抗があるという人、多いのじゃないでしょうか?

それと同じ感覚で、タイ人にとってはタイ語よりも日本語の方がキュートで格好いいんでしょうね。日本人から見たら不思議な感じではありますが。

 

 

日本語をしゃべっている時の方が、ソフトなイメージ

 

さて、うちの娘は、チェンマイのインターナショナルで、タイ人や中国人、韓国人に囲まれて生活しています。

学校での共通語は英語です。でも、時々、私と電話する時や、日本語できる友人とは日本語で話すこともあるそうです。

そういう時、友達からは、「日本語で話している時の方が柔らかくってかわいいよね」と言われるらしいのです。

英語の時はどうなのと聞くと、英語の時は、きついとか、怖いとか言われるとのこと。

同じ人間のイメージも使う言語で変わるんですよね。

 

そういえば、ネパール人のイメージもその時の言語ですご〜く違います。

英語の時のイメージは、シャープでハキハキとした感じ、でも、ちょっとストレートすぎるなと感じる時もあります。

でも、その同じネパール人が日本語を使ったら、とっても柔らかくて、ソフトで優しい感じがするんです。

で、ネパール語の時は、ちょっと田舎っぽく、親しみやすい感じだけど、押しが強くて、きつく感じる時もあります。

 

ま、これは、あくまでも私の感覚なんで、そう感じない人もいると思いますが、一つだけ言えるのは、同じ人でも使う言語で、その人の持つイメージが随分と違うことです。

言語というものに性格があるとするならば、きっと、日本語の響きは、他の言語に比べて、やわらかく、ソフトなんでしょうね。

でも、きっとその分、曖昧で、はっきりしないっていう印象もあるようですけどね。

 

 

 

母国語でしゃべる時の印象が、最もその人の性格を表している

 

国民性が言語のキャラクターを作り出すのか、言語の持つキャラクターが国民性に影響を与えているのか、という問題は、鶏が先か、卵が先かと問うのに似ているのかもしれません。

いずれにしても、しゃべる言葉で、その人のイメージは変わります。ただ、その人の地のキャラクターが現れるのは、やっぱり母国語をしゃべっている時なのだと思います。

 

ネパール人がネパール語でしゃべる時と日本語でしゃべる時のイメージのギャップの大きさに気がついたのは、ネパール語が理解できるになってからでした。

もちろん、言葉を超えて共通するものだってあるのだと思うのですが、言葉から理解できるものもたくさんあります。

 

ネパールで仕事をする上では、やはり、ネパール人とネパール語でしゃべれた方がいい。その方が、その人となりを、より理解できるからです。日本語は、すべての人のキャラクターをマイルドにソフトに見せる魔法の言葉。だから、日本語でしゃべった時の印象で、その人を判断するのは、危険かもしれません。

 

 

ネパール語と日本語の私、どちらが私らしい?

 

ちなみに、私がネパール語を話していると、日本人の友人からは、「性格きつくなった?」とか「怒っているの?」とか言われます。やはり、日本語を話す時の方がソフトらしい。

でも、自分としては、ネパール語しゃべっている時の自分の方が「らしい」ような気もします。

 

個人的に、言語としての日本語は美しいし、味わい深くて好きなんですけどね。だから日本人でよかったとは思うのです。

ただ、それが、自分のキャラに合うかどうかは別としてです。

日本人であっても、日本語のキャラクターが合う人と合わない人が、いるのかもしれません。

英語をしゃべっている時の方がしっくりくるっていう日本人もいますしね。

ストレートにものを言いたい人には、日本語はまどろっこしい言語なのかもしれません。

 

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

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