50歳から海外でフリーランスとして生きる

【海外から見た日本】人生の選択肢の幅の広さと幸せは比例するのかをネパールから考えてみた

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

 

こんにちは、ネパール在住20年、フリーランスライターのみやちかです。

 

娘が小学生4年生の頃、彼女の友人のネパールの子どもたちに、将来、何になりたいかを聞いたことがあります。

 

ほとんどの子が医者かエンジニアという答えでした。

 

かっこいいからというよりは、経済的成功者のイメージがあるからのようです。

 

プロ野球選手とか、アイドル歌手とか、消防士とか、幼稚園の先生とか、お嫁さんとか。私が小さい頃、私や私の同級生たちが描いたような夢は、ネパールでは、あまっちょろいのでしょうかね。

 

それって、なんか、寂しくないん?

 

でも、それだけ、彼らはシビアな格差社会で生きていて、私たち日本人はぬるま湯社会に生きているということなのかもしれません。

 

圧倒的多数を占める庶民の夢は、ここから上に這い上がりたいという1点に尽きます。

 

その願いが叶うかどうかの保証はないけれども、迷うことなく、それに向かっていけるネパール人の若者

 

かたや、経済的に、そこそこ満たされていて、選択の幅もあるのに、迷子のように、行き先が決められない若者が目立つ日本。

 

一体どっちが幸せなんだろう? と、時々正しい答えのないことを考えてしまうみやちかです。

 

 

ネパールの若者の、現状から抜け出したいという強い意識

 

フリーターや派遣でも、なんとなく、食いっぱぐれることなく、生きていける日本の若者とは、全然違う環境に置かれているネパールの若者。

 

最近、日本国内で貧富の差が激しくなったなんて、騒がれているようですが、ネパールやインドに確固として存在するカースト&階級社会という厳しい現実から見たら、めちゃくちゃましです(ましだからほっといていいという意味ではないですよ)。

 

一握りの支配階級と富裕層、そして最近少しだけ増えてきた中流階級層。

 

それ以外の、絶望的な将来からなんとか這い上がりたいと思っている大多数の民衆。

 

急速に近代化し、都市化が進む首都のカトマンズと、未だに50年前とあまり変わらない生活の農村部。

 

 

過渡期なんだろうな、と思います。

 

 

ネパールの庶民が憧れるのは、ヒンディームービーのヒーローやヒロインが暮らすような豪華な一軒家に、車つきのハイソな暮らし。

 

けれども、カトマンズや、ポカラの都市部では、土地の値段は、120平方メートルで、500万~1000万円が当たり前な感じです。中心部に行けば、それ以上に高い土地だって珍しくなく、公務員の2~3万円という月給では、手が届くようなもんじゃないのです。

 

土地の値段の高さにため息をつく庶民とは対照的に、この土地バブルに乗じて、土地を転がしてどんどん裕福になる都市部の地主たち。

 

普通に雇われていたのでは、両者の格差はどんどん開くばかり。

 

こんな現状から抜け出したい、勝ち組になりたい!

 

ここ10数年のネパールでは、そんな、変な熱気をムンムン感じて、少し居心地が悪いなと思ってしまう私です。

 

 

選択肢が少ない分、迷いも少ないネパールの若者

庶民階級のネパールの若者にとっては、国外、それも先進国に進学あるいは就職することが、のし上がる確実な道。

それこそが、成功への近道とばかりに、脇目もふらずに突進していきます。

 

どの道を選べば勝ち組になるか(=経済的に成功できるか)、というシンプルな選択基準。

 

自分らしくとか、自分の能力を発揮とか、自分の好きなことを追求するとかは、経済的な基盤がしっかりしていて初めて表に出てくるものなのかもしれません。

 

自己実現の前に、まずは経済的自立! なのが今のネパール。

 

そんな風に、目指すゴールが決まっているので、迷う必要がなくて、目をキラキラ(あるいはギラギラ)させてその方向に一直線って感じなのです。

 

ただし、迷いがない分、危機感もすごくあります。国外に出たくても、ビザは簡単に出ないし、人材派遣会社の手数料も高いし、簡単ではないのです。

 

そういう状態で湧き上がる、敗者にはなりたくない、この世の中で勝ち組に入りたいっていう強い気持ち。

 

それは、時に他人を妬む方向に働くこともあり、自分がのし上がるためには、人の足を引っ張るという行動に出る人もいます。

 

もちろん、そんな人ばかりじゃなくて、危機感を向上心に転換して、ぐんぐんと伸びる人もいます。

 

どちらに転ぶかは、その人の人間性や周りの環境にも左右されるのでしょうけれども。

 

 

選択肢の少ないネパール人よりも、選択肢の幅が広い日本人の方が、迷いが多いという現実

逆に日本の若者は、選択肢の幅が広い分、迷いも多いのかもしれません。

 

職業カーストがあるわけではないし、どんな職についてもいい社会ではあるのですが、だからこそ、その広い選択肢の中から、自分の道を自分で選択しなければなりません。

 

自分で選択できる喜びよりも、選択しなければならない重圧の方が若干強いようにも思います。

 

それは一体何故なんでしょうね。

 

  • 自分で決めたら自分で責任を取らねばならない
  • 何が正しい選択かわからない
  • 間違った選択をしたくないから、選択しかねる
  • そもそも、自分の好きなこと、やりたいことがわからない
  • 社会の既存の枠からどうにか抜け出したいのに、その方法がわからない

 

こんな風にたくさんの迷いがあるからかもしれません。

 

だけど、思います。

迷える余裕があるから、迷えるんだよねって。

 

明日の生活に切羽詰まった状態で、迷う人はいないと思うのです。とりあえず、今日を、明日を生き抜くこと、それが最優先になるからです。

 

だから、思います。

迷えるってことは、実は、すごく恵まれていることなんだよねって。

 

 

迷えるのは、多分幸せなこと、選択肢の幅の広い証

 

 

今のネパールの若者が抱く、海外に行けば幸せがあるという想いは、幻想かもしれないけれど、ネパール国内で、夢も持てず無気力でなあなあな日々を送るよりはずっといいと思います。

 

とにもかくも、まずは、選んで進んでいかなければ、何も変わらないのですから。

 

でも、進んでいったその先で、きっと彼らも日本人と同じように迷う日々が来るのかもしれません。

 

自分とはなんだろう。

自分らしく生きるってどういうことだろう。

自分がこの世界に残せるものってなんだろう。

 

だから、迷えるのは、多分、とても恵まれていて、幸せなことなんです。

 

選択の幅が広い証なんです。

 

 

だから、自分の娘にもそういう環境を作ってあげたいと思っています。選ぶのは彼女ですが、彼女の選択の幅をなるべく広げてあげたいと。

 

実際のところ、なかなか、難しいのですが、でも、それが今、私が親として、子供にしてあげられることなのかなあと思っています。

 

 

ネパールの若者も、日本人の若者も、みんな頑張りんさいよ! アラフィフもまだまだ、頑張るけんね!

 

では、ナマステ〜!

 

 

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

Comment

  1. アバター やまびこ より:

    まさに今、我が家が抱えている問題なので何回も読ませてもらいました。
    私もずっとこだわっています。子供の将来の選択肢について。そこで相方と意見が食い違います。
    でも、私も子供には選択肢を沢山与えたいのです。

    • アバター miyachika より:

      子供の将来については、悩む気持ち、わかります。
      親なら、悩んで当然です。
      でも、最終的に決めるのは、子供。
      彼らが自分の納得できる人生を歩んでくれるのを願うばかりです。

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