50歳から海外でフリーランスとして生きる

私流人生の歩き方 おいしいものをご馳走するのは、あなたの笑顔がご馳走だから

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ネパールのポカラ在住、時々日本やタイ、その他いろんな国に出没する、エディター兼ライター兼コーディネイターのみやちか(Chikako Miyamoto)です。今まで培った編集力を駆使して、50歳からのトキメキのある人生を発信し続けるお姉さん。

 

 

こんにちは~、ネパール在住、体当たりライター、みやちかです。

 

さて、何度も言ったかと思いますが、私は、ほんと~に家事はキライです。

 

完全に主婦に向かないオンナです。

 

でも、おいしものを食べたいという欲求はめっちゃ、強いんです。

 

だから、食べたいものがなかなか手に入らないネパール暮らしを始めてから、食べたい一心でいろんなものを作るようになりました。

 

で、せっかく作ったのだからと、人にお振る舞いをするようになったんです。

 

だって~、共感してくれる人と一緒に食べる方が、もっとおいしく感じるし、作ろうっていうモチベージョンも上がるし、それに、何より、おいしいと言ってくれる相手の笑顔が私のご馳走だからです。

 

そう、誰かにご馳走してあげているようで、一番たくさん受け取っているのは、私自身なんです。

 

お振る舞いするって、実は、たくさんたくさん受け取っているってことでもあります。

 

今日は、そんなお話です。

 

 

食べたいものが売ってない、だから作る、から始まった

 

お正月のおせちもどきから始まって、冷奴食べたさに豆腐を大豆から作ったり、おでん食べたさにがんもどきやはんぺんもどきを作ったり。

 

料理が特に好きでも、得意でもないし、どちらかというと台所に立つのが面倒なタチのくせに、気がつくといろんなものを作ってきました。

 

ぜんざい、肉まん、あんまん、みたらし団子などなど。

 

でも、決して、料理に目覚めたからとかではありません。

 

手際がいいわけでもありません。

 

自分が食べたいから。

 

なんででしょうね~。日本に住んでいたときは、特にどうとも思わなかったものが、手に入らない環境のせいか、時々、むしょうに食べたくなるんです。

 

そんな「面倒」よりも「食べたい」気持ちが勝ったとき、台所での試行錯誤が始まるというわけです。

 

なんでそこまでして食べたいかというと、やっぱり美味しいものを食べると「幸せ』な気持ちになれるからかなあ~と思います。

 

そして、不器用な私が、こんなに時間をかけて作った「幸せ」になる料理です。

 

誰かと共有したいと思うのは、私にとっては自然なこと。

 

気がつくと、結構、人を家に招いて、お食事会したりするようになりました(これいうと、また、東京時代の同僚は、信じられなくて、目が点になるかなあ~)。

 

日本のカレーをたべる会とか、冬のおでん会とか、手巻き寿司の会(外人受けするのは、これですね~)とか。

 

人を招くと、途端に台所に立つのがあまり面倒でなくなるから不思議です。

 

自分のためだけに炊事するのは、めんどくさい家事だけど、人のために作るのは、仕事みたいな感じ?

 

どうやったら喜んでもらえるかな~って想像しながら作るのって楽しいもんです。

 

そして、誰かと食べると、自分だけで食べるより、なんでもずっとおいしく感じるもんなんです。

 

 

誰かと一緒に食べると2倍、3倍おいしいわけ その1 共感は共鳴する

なぜ誰かと食べるとおいしいのか、その理由の一つは、共感は共鳴して、より大きなエネルギーになるからじゃないかなって思うんです。

 

一人のおいしいよりも、二人のおいしい、二人のおいしいよりも三人のおいしい。

 

おいしいが集まると、その幸せな気持ちが共鳴して、その空間の『おいしいもの食べて幸せだな~』っていういい感じのエネルギーが大きくなるんじゃないかと思うんですよ。

 

試しに、日本食が大嫌いなネパール人と一緒に食べてみると、その逆がありなのもよく分かります。

 

私がせっかく作った料理をですよ、『まずっ』とかって横で言われたらどうでしょう。おいしさ半減しちゃいます。

 

そんなわけでうちの家族は娘以外、ツレアイも甥っ子、姪っ子も、日本食はダメなので、私がもっぱらお振る舞いするのは、日本人や外人ですね。

 

『おいしいね~』って、共感しながら食べる方が、ずっとずっとおいしいんですもの。

 

 

誰かと一緒に食べると2倍、3倍おいしいわけ その2 与えれば、与えられん

 

おごったら、おごってくれるはずというような打算があって、お振る舞いするわけじゃないのですが、お振る舞いをしたことで、お振る舞いしてもらう機会も断然増えたのは確かです。

 

特別な日の夕食に招いてもらったり、何か、日本の味が手に入ったときは、おすそ分けしてもらえたり。

 

私が、欲張って、作ったあんまんを全部一人で食べたとしたら、おいしいはおいしけれど、最後の方は、胸焼けして飽きちゃって、せっかく作ったのにおいしく感じられなくなっちゃって、しかも誰も幸せにしないんです。

 

でも、私が、欲をう~ん、ぐいって抑えて、自分だけじゃなくて、みんなで一緒に味わえば、そのときの味わいはダブル、トリプルな上に、あんまん以外の美味しいものが後でまわってきたりして、何回もおいしい幸せにありつけたりってこともあるんです。

 

 

誰かと一緒に食べると2倍、3倍おいしいわけ その3 誰かの笑顔が、何よりのご馳走

でもね、何よりも私を満たしてくれるのは、おいしそうに食べてくれる誰かの笑顔

 

だいたい、大好きな人だから、お振る舞いしたいな~と思うし、大好きな人が嬉しそうだったら、それだけで嬉しいじゃないですか!

 

食事のお振る舞いに限らず、私は、大好きな人に喜んで欲しくて、その人が喜んでくれたら、それが嬉しくて。

 

そう思ったら、最終的に嬉しいのって、私なんですね。

 

そうなんです。

 

一緒に食べる誰かの笑顔が私にとっての、何よりのご馳走なんです。

 

だから、誰かのためってのは、大抵自分のためなのだと思うし、お振る舞いをすることで、一番たくさんのものを受け取っているのも自分。

 

そう思ったら、な~んか、全てに感謝したい気持ちになりました。

 

 

お振る舞いは、押し付けたら意味がない

 

料理を振る舞うという話でこれまで進めてきましたが、なにもお振る舞いは料理だけに限ったことではありません。

 

人生の中で、他人にできるお振る舞いというのは、いろいろあるのだと思います。

 

アーティストの表現も、社会の不特定多数へ向けてのお振る舞いの一種ではないかと私は思っています。

 

ブログで情報提供するのだって、お振る舞いですよね。

 

そして、忘れてはいけないのは、そのお振る舞いを受けるかどうかの選択をするのは、自分じゃなくて、相手であるってこと。

 

押し付けちゃったらお振る舞いじゃなくなっちゃいます。

 

それも、ちゃんと考慮した上で、これからも、どんどんお振る舞いできる太っ腹な私でありたいな~。

 

そんな風に思う、アラフィフみやちかでありました。

 

 

 

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