私流人生の歩き方 期間限定の地球滞在を、欲張って楽しもう!
こんにちは、またまた、日本に2週間だけ上陸のフリーランスライターみやちかです。
東京には、ほんの5日間だけの滞在です。
毎回、毎回、やりたいことは山ほどあるし、
会いたい人は山ほどいるのに、全然、時間が足りません。
だから、スケジュールはキツキツで、毎回寝不足。
普段のネパールでの私のペースと全然違います。
すごい忙しそうねと知り合いには驚かれます。
でも、だって、5日間しかないんですもの、
目一杯時間を使いたいじゃないですか。
そう言った自分の答えにハッと、しました。
『時間に限りがあるのは、日本にいる間に限ったことじゃないんじゃね』、って。
そうなんです、人生には、限りがあるんです。
期間限定の地球滞在。
だから、やっぱり欲張って、めいっぱい楽しみたいなと思うんです。
この記事のもくじ
限られた東京滞在だから、目一杯やりやいことをやろう
さて、さて、いつも駆け足の東京滞在ですが、5日間の4日目、本日の私の予定は、こんな感じ。
7時~9時 おにぎりをかじりながら、ブログ原稿をアップ。10時ごろホテルを出発
10時半 日本橋で寄り道して、東京にいる間にどうしても買いたかったオシャレな洋服を買う
11時40分 渋谷にて、ポカラで知り合った、友人と女子会ご褒美ランチ
14時 そのまま渋谷で、ワークショップで知り合った、ネパールに興味があるいう女性とお茶をしながら人生談義
16時 体を調整する施術を受け、爆睡
19時 で、現在、脳を活性化する自習塾に参加し、この原稿を書いております。
まあ、東京にいる間は、毎日こんな感じで、スケジュールはぎゅうぎゅうです。
でも、1年に1回か2回しか日本に帰らないんだから、『今、会わなきゃ』、『今、しなきゃ』、『今、買わなきゃ』、『今、食べなきゃ』ってなるんです。
時間とお金をかけてわざわざネパールからきているんですもの、欲張りにもなろうってもんです。
いる間に、できるだけの多くの体験をしたいと思っちゃいます。
期間限定ですから、やろうかな、どうしようかななんて、迷う暇なんてありません。
人生は、魂が地球で人間として生きる体験をする旅だと考えてみる
そんなわけでついつい、自分のキャパを超えて、予定を入れ込み、ネパールに戻ってしばらくぐったりの状態が続くというのがここ最近の私のパターンになっております。
でも、よくよく考えてみると、人生自体、限りはあるんですよね。
ただ、旅行や出張と違って、人生の復路の日付を私たちは知らないんですけれどもね。
例えば、魂が存在するとして、『人生とは、魂が地球で、人間として生きる体験をする旅だ』と考えてみるとどうでしょう。
往路は、赤ちゃんとしての誕生の時、そして、復路は、死ぬ時。
その目的は、人間として、肉体がなければ体験しえないことを最大限に体験すること。
きっと、それが魂を磨く最短で唯一の方法なんじゃないかな、私は、そんな風に感じています。
だから、人生は、期間限定の地球滞在なんです。
限られた地球滞在だから、本当なら、一刻だって、無駄にできないし、無駄にしたくないはずなんです。
でも、人間というものは、傲慢で、明日が同じように続くって思っちゃったり、つい、怠けたくなったり、楽をしたくなったりするんです。
だって、常に全力で走り続けるのは、しんどいし、実際のところ、適当に休憩しないと体がついていけないって面もありますもんね。
肉体があるから体験できることってなんだ?
ところで、『人生とは、魂が地球で、人間として生きる体験をする旅だ』として、地球滞在の究極の目的は、肉体があるからこそ体験できることを体験し尽くすことだとした場合、それって一体なんなんでしょう。
例えば、誰かを抱きしめること。
あるいは、手をつなぐこと。
声を出すこと。
歌うこと。
踊ること。
食べること。
笑うこと。
涙を流すこと。
深呼吸すること。
嘘をつくこと。
胸がキュンとすること。
体が痛みを感じること。
人間としての日々の行動全てが、肉体を持ってできる体験で、それを存分に味わいつくすことだけが私たちに与えられた使命だとするならば、いわゆる成功とか名声とか、そういうのってそう大きな意味を持たないのかもしれません。
体と、感情と、直感を駆使して生きること。
それだけが唯一、私たちに与えられたすべきことだとするならば、失敗の人生なんてそもそも存在しなくなります。失敗することだって、肉体があるゆえの貴重な体験だし、失敗できるのも人間だからこそなんじゃないかと思うんですよね。
自分でしか体験しえない地球滞在を楽しみましょう
だから、恐れずに、人生を目一杯、体験し尽くしちゃいましょう。
限りある地球滞在なんです。
少々欲張ったって、いいんです。(今、知り合いにメッセンジャーで、そういうメッセージいただきました!欲張ってもいいんだよ~!って)
そして、体験すること自体が目的だから、結果にそんなに執着する必要もないんです。
体験した全ての喜びや、痛み、感動、悲しみ、その全てが、私の魂にとって、そしてあなたの魂にとってかけがえのないご馳走なのですから。